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念仏札

一遍上人語録

門人伝説

 門人伝説03

また云(いわく)、至誠心(しじょうしん)は、自力我執の心を捨て、弥陀に帰するを真実心の体とす。その故は、貪・瞋・邪・偽・奸・詐、百端と釈するは、衆生の意地をきらひすつるなり。三毒は三業の中には、意地具足の煩悩なり。

深心とは、「自身現是罪悪生死凡夫」と釈して、煩悩具足の身を捨て、本願の名号に帰するを深心を体とす。然れば至誠心・深心の二心は、衆生の身心のふたつをすてて、他力の名号に帰する姿なり。

回向心とは、自力我執の時の諸善と、名号所具の諸善と一味和合するとき、能機所帰と成りて、南無阿弥陀仏とあらはるるなり。このうへは、上の三心は即施即廃して、独一の南無阿弥陀仏なり。

然れば、三心とは身心を捨てて、念仏申すより外に別の子細なし。その身心を棄てたる姿は、南無阿弥陀仏これなり。

 

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