一遍上人語録
門人伝説
門人伝説49
また云(いわく)、南無とは十方衆生なり、阿弥陀とは法なり、仏とは能覚の人なり。六字をしばらく機と法と覚との三に開して、終には三重が一体となるなり。しかれば、名号の外に能帰の衆生もなく、所期の法もなく、能覚の人もなきなり。これすなはち自力他力を絶し、機法を絶する所を、南無阿弥陀仏といへり。
火は薪を焼くに、たきぎ尽くれば火滅するがごとく、機情尽きぬれば、法も又息するなり。しかれば金剛宝戒章と云文には、「南無阿弥陀仏の中には機もなく法もなし」といへり。いかにも機法をたてて迷悟をおかば、病薬対治の法にして、真実至極の法体にあらず。迷悟機法を絶し、自力他力のうせたるを、不可思議の名号とはいふなり。
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