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念仏札

一遍上人語録

門人伝説

 門人伝説52

また云(いわく)、往生は初めの一念なり。初めの一念といふも、なほ機に付いていふなり。南無阿弥陀仏はもとより往生なり。往生といふは無生なり。この法に遇う所をしばらく一念といふなり。三世截断の名号に帰入しぬれば、無始無終の往生なり。臨終平生と分別するも、妄分の機に就いて談ずる法門なり。

南無阿弥陀仏には、臨終もなく、平生もなし。三世常恒の法なり。出る息いる息をまたがる故に、当体の一念を臨終とさだむるなり。しかれば念々臨終なり、念々往生なり。故に「回心念々生安楽」と釈せり。おほよそ仏法は、当体の一念の外には談ぜざるなり。三世すなはち一念なり。

 

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