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念仏札

一遍上人語録

消息法語

或人、法門を尋申けるに、書てしめしたまふ御法語

春すぎ秋来れども、すすみ難きは出離の要道。花ををしみ月をながめても、おこりやすきは輪廻の妄念なり。

罪障の山には、いつとなく煩悩の雲あつくして、仏日のひかり眼(まなこ)にさへぎらず。生死の海には、常時に無常の風烈しくして、真如の月やどる事なし。

生を受くるにしたがひて、苦しみにくるしみをかさね、死に期するにしたがひて、闇(くら)きよりくらき道におもむく。

六道の街(ちまた)には、まよはぬ処もなく、四生の扉には、やどらぬ栖(すみか)もなし。生死転変をば、夢とやいはん現とやいはん。

これを有りといはんとすれば、雲とのぼり烟と消えて、むなしき空に影をとどむる人なし。無しといはんとすれば、又恩愛別離のなげき心の内にとどまりて、腸(はらはた)をたち魂をまどはさずといふことなし。

彼芝蘭(しらん)の契りの袂に、屍をば愁歎の炎にこがせども、紅蓮・大紅蓮の氷は解けること有るべからず。鴛鴦の衾(ふすま)の下に、眼をば慈悲の涙にうるほせども、焦熱・大焦熱の炎はしめることなかるべし。

徒(いたずら)に歎き、徒にかなしみて、人も迷ひ我もまよはんよりは、はやく三界苦輪の里を出、程なく九品蓮台の都にまうづべし。

ここに苦悩の娑婆はたやすくはなれがたく、無為の境界は等閑にしていたる事を得ず。たまたま本願の強縁にあへる時、いそぎはげまずしては、いずれの生をか期すべき。

他力の称名は不可思議の一行なり。超世の本願は凡夫出離の要道なり。身をわすれて信楽し、声にまかせて唱念すべし。南無阿弥陀仏。

 

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